過去のゲームログ:その2 〜詳細編〜

なんだかブログの更新がこまめになって来ましたね。書きたいことが増えて来たということですか。よきかな、よきかな。

 

kiryuanzu.hatenablog.com

先日、桐生さんからご紹介?頂きました。読んでいない方はご覧になってみては。

漫画風の挿絵いいですね羨ましい。可愛げがあります。

 

前回のゲームログ記事を読み返して、なんだかこんなのが書きたかったわけじゃないんだよなぁ…?とか考えていました。

考えてみれば、あんだけの時間をかけてプレイしたのに、50時間プレイすればわかるようなことしか書いていない気がします。もっとエピソードとか、執念とか、思い入れとか、、こう、、、供養ですよ!

どうせもう、アレらはプレイしないのだから、供養に相当するような念を込めたい!

 

 

そんな思いで、続きを書きます。

前回ゲームの内容については触れたので、僕の青春の話がメインになります。

 FEZ

始めたのはリア友の紹介がキッカケでした。彼とは本当によく絡みましたねぇ。

当時、異性に全く興味のない僕でしたが、何の間違いか好意を抱かれたらしく。全く気にしていなかったところ、そのリア友とのホモ疑惑が一瞬浮上したみたいです。しかし、高校からか疎遠になり始め、地元を離れた際プッツリ連絡をしなくなりました。

うーん、よくある話。

イキリっぽいので書こうか悩みましたが、彼もついでに供養です。

 

今までのオンラインゲーム経歴は、基本的にリア友の紹介になります。そのせいもあって、あまりゲーム内で他のユーザーとの絡みが少なかった。

 

その彼とコンビプレイをしてみたり、同じ暗殺キャラ同士で暗殺グループ組んだり、そんな毎日を過ごしていました。状態異常・暗殺専門でやっていると「性格悪い」とか「いやらしいプレイ」とか「鬱陶しい」とか言われるわけですよね。

その、「ちょい悪」な感じがまた、中二病心がくすぐられて気持ちよかった。前回にも書きました「弱いキャラで強いキャラを倒すのが気持ちいい」も中二病っぽさありますね。

 

そうそう、当時のプレイヤー名は星のカービィをもじった物でした。当時はFlash全盛期からちょっと過ぎた頃でしょうか。「サザウェさん」とか「オラエモン」とかがあった時期です。

その時、

何で星のカービィFlashはないんだ、同じぐらい国民的じゃないか

と思ったわけです。

今思えば、他に比べれば国民的じゃないというか、ゲーム原作やんというか、なんなら(女オタクにやたら人気の)「アニメ版カービィ」すら見てないやんけとか、色々思うところはあるんですが。

 

そんなわけで、西の○○○という名前でやっていました。

○にはカービィの当て字が、漢字で書かれていたわけです。漢字で。いやあ、中二病っぽいですねぇ…

以後、一人称が「にし」となったのはこれが所以になります。話しても大して盛り上がらないのであまり話していませんが。

 

スカイプを始め、ボイチャばっかりしていたのもこの時期。部屋にネット環境が整っていなかったので、居間の端の方でネトゲをやっておりました。仲間との通話が盛り上がり、「らめぇぇぇぇーwwww」と言っていたら母親が居間に登場し、「あんた何やってんの…」となったこともありました。

 

学校には行っていましたが、高校の授業中はFEZWikiを図書館でプリントアウトしたものを読んでいたり、戦闘風景を脳裏に浮かべ、音楽を脳内再生し、イメトレ(?)をしていました。Wiki情報から、大体のスキルの射程距離と威力は覚えていましたねぇ…

 

それだから留年…ゲフンゲフン

いや、普通に考えてこのゲームが原因で留年です。

強いて他に挙げるとするなら、家庭内のアレ。(後述)

 

思い出した。FEZの終わりはドラゴンネストというゲームに部隊で移住しようぜ

という話が挙がった時です。僕も楽しみだったのですがいざ移ってみると、対人要素が薄く、PCスペックも足りずカクつきながらの動作だったので、あまり面白くなかった。結局、FEZのほうもログインしなくなり、辞めたという流れでしたっけ。

 

家的な話をしますと、正直、実家というのはあまり好きではない空間でした。

反抗期もあり、自分のルールを押し付けるタイプの父親がとにかく嫌いで、晩飯は絡まれないよう最速で食い、「勉強時間」というルールの時間は部屋で(中古で買ったゲームボーイアドバンスの)ゲームをし、それ以外の時間はネトゲをする という毎日だったと思います。

 

ゲームから離れる話ですが。

小学校の頃は父親と部屋が一緒で、「勉強時間」を真っ当に過ごしていました。自分の部屋がないため、とにかく父親のいう通りにやっていたんじゃないかと思います。中学受験するくらいですからね、教育熱心、過干渉な父親でした。

ただ、ポケモンカードマリオカートを当時やっていましたが、父親が相手してくれていたこともあり、小学生の頃はそんなに嫌っていなかった。

中学校の時から部屋が別になり、「勉強時間」に見張りがいなくなります。勉強をサボるようになり、新科目「英語」についていけなくなり、中一第三回定期テストあたりから落ちこぼれロード。というわけです。

 

で、そんなあたりからネトゲを始め。そりゃ目くじら立てられるわけです。しかし、ゲームメインで遊んでいたとはいえ、スカイプなどをしてたこともあり、人間関係がそこにはありました。それで当時は平静を保てていた気がしますねえ。やっていて良かったとも思います。

 

ゲームというか、僕の青春の話でした。

セキララ!