デブの生い立ち

デブの生い立ち

 

プールに行こうと思って、水着を買いました。初めての市民プール行くの勇気いるなぁ、とてもいまビクビクしています。

 

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※アフィじゃないです。

こういう…!なに、ピッチリしてるやつ、買ったんですよ。だってゴーグル付きで2000円ですよ?やっす。あまりに恥ずかしかったらお風呂掃除の時に履きます。

 

こう見えても、昔は水泳を小学6年間続けた水泳ボーイだったのです。クロールからバタフライまでは勿論、水泳のクラスは最終局面に達し、タイムを伸ばすだけのコースでした。

 

考えてみると、僕が太ったのも水泳がキッカケでありました。僕のデブの成り立ちについて、書いてみましょう。小学校時代の話なんて滅多にしませんもんね。

 

 

 

水泳を習い始めたのは小学校1年生のころでした。あの頃の僕なんてのは、きっとなんでも素直にウンウン言う子だったはずです。年の離れた姉が二人いますと母親が3人いるようなもんですからね、そりゃもう反抗心など粉々に砕かれています。(後々復活します)言われるがまま、なすがまま、気付いたらスクールに行っておりました。

 

スクールには売店があり、お菓子やアイスが売っています。

いつの日からか、スクールの日は100円渡してくれるようになりました。ちょうどお菓子1個分です。今日は何のお菓子にしようかなと毎週楽しみにしておりました。

 

 

ちょっと脱線しまして、父親の話をします。僕の父親は健康オタクでした。腰痛と肝臓を悪くしていた経験からか、健康食品や健康運動などを沢山取り入れておりました。腰痛持ちとなった今では気持ちも分かるのですが、良くなかったことは健康体の子供の僕にも強要することでした。若い頃からやっておけば体を壊さないという理屈、まぁ分からないわけでもないですが。

 

その健康強要の一つが甘い物禁止、菓子類の禁止でした。親戚や隣のオバちゃんが菓子をくれるものさえ、嫌がったり断ったりするようなほどです。まぁ、隠れて食べたりはしていましたけどね。

 

 

話を戻します。いかに僕が、スクールの帰りに食べるお菓子を楽しみにしていたか、ということです。

ちなみに、当時のお気に入りは「たべっ子どうぶつ」です。味もそうですが、たべっ子どうぶつには裏に英語が描いてあるんですよね。親側のウケも良いというわけです。上手なウリ方をしてますよね。

 

小学校高学年になると、週末は父親とプールに行っていました。月に2回は行っていたと思います、ハイペースですね。

殆どの時間を泳ぎ続けるだけでした。早く泳ぎたいという目標もなかったので、ただただ泳いでいました。続いたということは楽しかったんですかねぇ。

 

 

さて、問題はその後です。父親はグルメ、かは分かりませんけど、グルメ番組をよくメモっていました。僕といっしょ。水泳の後はお腹空いたと喚く僕です。自然と通うわけです。

マックに、たこ焼き屋に、おやき屋に。

…なんでお菓子はダメでマックは良しとしたんかな父親な…

 

小学校高学年の僕は立派にデブでした。友達にデブデブと囃され、囃した友達にはタックルか、蹴りか、のしかかりを与えていました。やられてもいいなら言ってもいいというスタイルは、あまり相手を調子付かせることなくいい塩梅でした。この、ツッコミの代わりに手が出るという悪癖は高校まで続きます。

 

 

中学から、授業についていけなくなります。小学校までは頭が良く、無事受験も合格しましたが、英語でつまづき、社会と科学でつまづき、あとはもうダメダメです。親からの叱責は増え、ストレスはどんどん貯まります。食卓で同じ空間にいなくてはならない飯は5分で平らげました。ネトゲもはじめました。

 

 

ストレスのはけ口は友人と飯とネトゲになります。昼飯は3時間目と4時間目の合間にすませ、昼は友人らと遊び(この頃、ボードゲームにハマりだします。)、放課後は食堂に残ったご飯で作る、特大おにぎりを食べながらダラダラします。94キロデブの完成というわけです。

 

 

 

この年になって、痩せようとは思えど、ストレスがかかると食べちゃうんですよね。シュークリームを。つけ麺を。うどんを。何か別のストレス解消あったらいいんだけどね。

痩せるため(だけでもないけれど)に、太った最初の原因である水泳に帰結するとはなぁ。

 

あ、帰結するとも限りませんね。僕のデブライフはまだまだ続く…