敗北宣言なのか、大人になったのか…
最近の人生目標、年収600万かつわりかし楽しい仕事かつ毎日飯を作って食べる時間を持てるです。
社会人1、2、3年目までは会社、社会への不信というか、どこまでいっても不遇な思いをするのだという思いと、日々の苦しみがありました。
最近になってようやく、これらを満たせれば社会適合してもいいかもと思うようになりました。
自分のできることが増えたのか、世の立ち回りを覚えたのか、何らかの悟りを開いたのか、求めるものの輪郭が見えてきたのか。知らんけど。
社会適合してもいいなって滅茶苦茶な言葉ですね。うーん、でもまぁ僕にはしっくりきています。具体的な事象で表現するなら、「長く同じ会社に勤めてもいい」とか「結婚してもいい」とか「マイホームをもってもいい」みたいな。
具体的な事象は分かりやすいけれど不正確です。社会への不信感を解いてもいいと言ったほうが正確でしょうか。
そうだ、今度実家に帰るんですが、チームメンバーにお菓子買っていこうと思っているんですよ。そういうところ。
今までチームメンバーにお菓子なんて頼まれても渡さねえ!ってくらいでしたからね。
捻くれが治りつつある?そういうこと?
ああそれと、すごい個人開発アプリを作るクリエイターに頑張ってならなくても良いということでもあります。社会人としてそこまでいければ、それなりに幸せになれると。
もちろん趣味として、個人目標として、そっちの活動は続けていければと思うのですが。
ああ、つまり異端ルート(個人開発で一発当てるぞ)の難易度・現実味を知ったと同時に、正規ルート(社会人エンジニアとして良い待遇を狙うぞ)のほうが現実的だと思うようになってしまったんでしょうか。
大人になってしまったというか、上手くやれているというか…
でも今の目標がソレですからね、日々の幸福基準が叶ったら、次に地位と名声と自己表現を求めて個人開発、全然ありえる話だと思います。
ま、いま思う発言ですけどね。5年後にこの言葉を読んでどう思うのやら。