牡蠣と幸福を結びつける

今日読んだ、幸福に関する哲学者の思想を一部引用。

 


気概と理性を統合させ、欲望に対抗するべき

プラトン


欲望を適度に放任せねば人生はつまらない。バランスが大事。

ニーチェ


「快楽」を追求せず「喜び」を追求せよ。この違いは幸福感が持続するかどうか。

アリストテレス


人や物に頼っても幸福にはなれない。自分の能力と内在的な性質こそが幸福をもたらす。

アリストテレス


寛容の心を手に入れよ、他者との衝突が減り円滑になり、過去の自分をも許すことができる。

アリストテレス

 

 

ここから僕の話なんですけど、先日殻付きの牡蠣を注文しました。50個入り。調味料がなんでも合うので全然飽きず、2日で40個ほど食べました。

最初は殻がガッチリ閉まっていてとても食える状態じゃないと思ったんですが、ナイフの入る隙間の見切りとか、貝柱の位置とか、やりやすい持ち方とかが分かってくるんですよ。すごい上達しまして、こんなに上達を実感すること中々ないのでとても嬉しかったんですよね。

 

 

そんな話を哲学者たちの言葉に当てはめますと

 

好きな食べ物の牡蠣を大量に食べる

プラトンの思想に反す。欲望に負けている

 

好きな食べ物の牡蠣を大量に食べる

アリストテレスの思想に反す。美味しいものを食べるのは長続きしない、一時的な快楽である。

 

牡蠣を剥く技術を習得する

アリストテレスの思想に沿う。自分の能力の向上が成った

 

好きな食べ物の牡蠣を大量に食べることで、想定外なことに、牡蠣を剥く技術を得た

ニーチェの思想に沿う。欲望を程よく放任させた結果、つまらなくない(幸福な)結果が得られた

 

 

 

どれもそれなりに納得のいく内容かなと思いました。

それじゃニーチェのいうバランスってどれくらいなの? とか

 

今回たまたま技術を得られただけで、普通は食べただけで終わりでしょ とか

 

例え僕が今後絶対使わない技術(例えば刀鍛冶とか)を得たとしてそれは幸福なのか? とか

 

美味しいものを食べて、その後も快楽が長続きできるようになったなら(1年前の鰻美味かったな…と思えるとか)それは幸福か?

→だとすると、幸福になるためには新しい行動よりも、過去を反芻する行動のほうが幸福に近づけるのでは? とか

 

この牡蠣剥きの技術を得たことを忘れたとしたら(日常でそうそう使うものではない、忘れうる)それは一時的な快楽になってしまうのか? とか

 

 

思うことはありますけれど。

 

ともかく寝ます。