世の中にはいろんなオトナ達がいますね。
かく言う私も社会人になり丁度2年が過ぎましたか。
ここ2年で会ったオトナについて書きましょう。
彼らと出会ってどう感じたか書いていけば、いい自己分析にもなりましょう。
歳は僕より何歳上かを予測して書いています。
橋中さん(仮名)+30歳
橋中さんは、私が最初に努めた会社の課の上司です。
同じ課といっても常駐先に勤めているので接触はさほど多くなく、課のメンバーが顔を合わせるのは月に一度の帰社日くらいなものでした。
その会社の帰社日は、常駐先の業務後に本社へと戻り、社長のスピーチやら何やら、色々やるわけですが。その中で会社の指針の勉強会というものがありました。
指針は分厚い紙束になっていまして。
今日は何ページを読みましょう。
ここではこういう風に書かれていますが、これはどういう意味だと読み取れますか?
どう仕事に活かせますか?
といった形式です。
その悪く言えば洗脳、良く言えば仕事の鎮痛剤となりそうな勉強会にて存在感を発揮したのが橋中さんでした。
仕事後の帰社日ですから僕らはグッタリです。そこに畳み掛けるようにくる会社教育には本当に疲弊しました。
橋中さんは「会社に求められた役割を行える人。社会人の行き着く先。」という印象を受けました。
社会人なりたてのぼくに「会社のために」というモチベーションはサラッサラのサラサラになかったのですが。
彼は力強く、会社のためにできる事とは何か、お客様のためにできる事は何か、どういった働き方をしていけば良いのか、ということを語ってくれました。
会社の方針を自分のことのように考え、その教えを説くエネルギーが凄まじくて。
こういう人間がいるのか…。
ここまで一寸の曇りもなく「会社のために」と言える人が出世するんだな…無理だな…
そんなことを考えていました。ぼくのハラには「どうやって会社に抗うか」「どうやって自分の領域を守るか」といったことがきっとどこかにあって。
橋中さんのような、いわば出世のメインコースは臨めないなとハッキリ自覚したような気がします。
原中さん(仮名)+15歳
そんな1つ目の就職先でグッタリしていたころ、僕は読書に活路を見出していました。
意識高いメディアに触れ、自己啓発書を読み。ある程度冗談で起業を目指したこともありました。
試しに起業家の講演会(タダ)にでも行ってみるかと思って、そこで出会ったのが原中さんです。
起業について「そこまで深く考えていないが、選択肢の1つとして考えている。」といった様子と、講演会のフリードリンクで選んだ物がお互いギネスビールだったことから話が弾みました。
原中さんはいわゆる人たらし的な人間で、お友達を多くもっているようでした。
若者とスポーツするサークルに入っていて、僕も連れていって貰ったこともありました。どうりで若者相手の扱いにも慣れているなぁ、なんて思ったりして。
そうそう、金持ち父さん貧乏父さんという本を紹介してくれたのも原中さんです。
あの本は意識高い(行動が伴ってるかに問わず)界隈のバイブル的存在のようです。
実践は難しいですけれど。
原中さんは僕にとって「社外に連れだしてくれた人」でした。
彼は4度の転職をしていて、会社という枠にさほど拘っていないように見えました。
彼に連れていって貰ったゆるスポーツサークルは合いませんでしたが、ああこんな世界もあるんだなと。
「社会人になると出会いがない」などとよく言いますが、探せばコミュニティなんて幾らでもあるんだなと少し恥じました。
原中さんに直接転職を勧められたわけではないけれど、会社のソトの世界を自然に考えられて、結局は転職することになったわけです。
そうそう、彼に付けられたあだ名の「ステイツ」は地味に気に入っています。僕の本名をモジった言葉ですね。
田中さん(仮名)+25歳
転職先を探していた時、一社だけ東京でスカイプ面接可能の会社の応募をしていました。
iPhoneアプリの開発を得意としており、未経験歓迎だと。
今までテスターとSQLしかやってこず、プログラミングの業務に憧れていた僕はiPhone開発できるなんて夢のようだと考えていました。
(今思えば、SQLも立派にプログラミングなんですけどね。)
で、無事選考に通りまして。
東京に出てきて、入社した会社の上司がこの田中さんです。
上司というか、営業と役員を兼ねている人ですね。小さな会社ですんで。
営業やってる人ですから、業務態度に厳しい方で。もう毎日のように、口調や態度の説教をされていました。
しかしまぁ、確かに僕には欠けている部分ですので、学ぶ部分も大きかった。
特にエンジニアの面談のアドバイスでしょうか。
SESでは新しい現場に入る際、面談があるんですよ。面接ですね。
この人が現場に入ってやっていけるかを面談し、合格になれば現場での作業が始まるわけです。
不合格が増えてきますと、案件が選べなかったり、会社で雑用させられたり、正社員でなければ切られたりするわけですね。
それまでの面接は、今までやってきたことを上手に話そうということに意識が向いていました。
けれど、今までやってきたことなんて大したことないと、カスだと。
それより「やりたいです!できます!すぐ習得します!」のスタンスで、意欲を見せたほうがいいというアドバイスを頂きました。
伝わるかなぁ、このエンジニアとの営業との温度差。
その時の、マジか…って気分、伝わるかなぁ。
しかし、実際田中さんのアドバイスは的確でした。
そういうスタンスに切り替えてからは少し感触が良くなりました。
若手で「オレこういうことは上手に出来るんだぜ!」より「これから成長していきたい!」のほうがウケがいいのはごもっともでしょう。
それまで相手にどういった印象を与えるかという部分はかなり無関心の無配慮だったと思います。意識したとしても下手でしょう。
それからというもの、ちょっとだけ考えるようになりました。特に面接の時とかはね。
田中さん自身もそうやって成り上がってきた人なんでしょうね。
「誰よりも早く出社し、会社中をピカピカにする」をマジでやってきた人らしいですよ。本人曰く。
最初の橋中さんと似てもいますが、こっちは役員ですしね。
「僕の弱い部分にステータスがガンガン振って成り上がった人」だと思いました。
いい勉強になりましたよ。ウン。ちょっとウザかったけど。
電話対応も、少しだけできるようになりました。文言は覚えられないので、先に台本を作ってから電話をするというテクニックを編み出しました。
結局、この会社はiPhone開発させてくれませんでした。
テスターや雑用、たまたまC#の案件に入れたこともありましたけど。
相手の言い分もあるのでしょうが、それでも酷い話だったと思います。
将来的にiPhone開発させてもらえたとしても、その時のことを恨み続けるのであれば不幸だな、と思いその会社を辞めました。
池中さん(仮名)+30歳
池中さんは東京に来たあと現場で上司となった方です。SQL諸々の案件と聞いて入ったあと、プロジェクトのリーダーが色んな問題で干され。
メンバーだけが残っていた時、リーダーとして入ったのがこの池中さんです。同時にSQLからC#で開発することになりました。
小さい文字も読めず、足も悪く、暗いところも見えず、なんだかボロボロな老いぼれかと思ったのですが、業務指示の的確さと技術力で好感を抱き、仲良くなりました。
この方、あとから聞いた話だと従業員自分一人の社長をやられているようで。
なんか猫のグッズ販売もしてるようなんですよ。今はその猫は死んじゃったそうなんですが、死ぬ前にグッズ販売やりたかったなぁ…などとボヤいていて。可愛い。
自分でデザインとかしちゃって。なんとまあ素敵な老いぼれですか。
その現場の案件終わってからも2度ほど飲みをしました。あの人とは酒の相性いいんです。とても楽しい時間にできます。
あ、以前ツイッターで塩釜焼きをアップしたんですが、あれを誘っていただいたのがこの方です。
池中さんは「僕のちょっと理想像」でした。
一人社長で技術力があって、製作活動もやっている。とても素敵です。
この方には案件紹介して頂いたこともあるんですよ。
その時僕は新しい会社へ入社が決まり、SwiftというiPhoneアプリ開発への道に切り替えてしまったため、結局話はなくなってしまったのですが。
あの時、その入社を断り、池中さん紹介の案件に飛び込んでさえいれば、フリーランスの道に踏み込んでいたのかもしれません。
惜しいことをしたのかもしれない。あれは明らかに人生の転機でした。
池中さんのことは大好きなのですが、C#の道を歩まなかった時点で、なんとなく、心の距離がが遠くなってしまいました。
これからも関係が続けられるといいんだけど。
続けたいならこっちからコンタクト取らないといけないんだろうけど。
しかしま、Swiftのほうにも旨味はあったので後悔というほどの話でもありません。
次の理想像の人、見つけられるといいなぁ。
4人でいっか。とりあえず今までで特に印象的な人たちでした。
ブログ100件目ということで、ちょっと長めに書きました。
おやすみなさい。