自由と自立と金と外食

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

 

率直に答えるなら、人に何も文句を言われないことである。

 

中学生、高校生だった時の自分は、親によく小言や説教を受けていた。成績が悪かったから主に勉強のことだった。

そのため親のいる居間には居たくなかったし、自分の部屋でもあまり寛げない時間が多かった。

 

社会人となり一人暮らしをしている今では、多くの時間を寛いで過ごせている。

一人の時間は何も考えなくてもいいし、将来のことを考えてもいいし、過去の反省をしてみてもいい。ブログを書いているこの時間も、心地いい一人の時間の一つだ。

 

その一人の時間を味わえている時や、それを必要な時間だと思える事に大人になったなと感じる。

 

 

 

…というのがこのテーマを視界に捉えた時に浮かんだ内容であった。

これに異を唱えるかのような、印象に残ったフレーズを読んだので紹介させて欲しい。

 

 

書籍“死なないでいる理由”より

「『自立』とは他人の力を借りずに、ひとりで生きていられるということではない。

(中略)人間はそういう無数の他者に支えられて生きているのであって、ひとりでできることなどたかが知れている。

とすれば、『自立』とは、他人から独立していることではなく

他人との相互依存のネットワークをうまく使いこなせるということをこそ意味するはずだ。

 

「人間は他者に支えられて生きている、ひとりでできることなど知れている。」このようなフレーズは何度か聞き覚えはあったし、理解はしていた。

問題はその後で「他人との相互依存のネットワークをうまく使いこなせることを自立とする」という解釈。この考え方は自分になくて、衝撃的であった。

 

都会に住んでいて、様々なサービスが乱立している世の中にいると、金さえあれば何でもできるような気がしていた。地方出身で近場の友人が殆どいない、自分のような人間には尚更そう考えてしまう部分があった。

しかし金があっても他者が支えてくれねばサービスを受けることは出来ない。プライドの高い人間は人に頼るのを嫌いがちだが、金の力を使ったとて他者の支えが必要なのである。それなら「相互依存のネットワークをうまく使いこなす」ことが自立というのも道理かもしれない。

 

テーマに対する私の率直な回答「人に何も文句を言われないこと」などは、筆者が否定している「他人から独立していること」ど真ん中である。恥ずかしい。

 

 

 

また、この自立の考え方から一歩踏み出して、金について考えた。

先ほども書いたが、金があっても他者が支えてくれねば、サービスを受けることはできない。

転じて、金はサービスを受ける権利との交換だけでなく、他者を支えるツールとも考えられそうだ。

 

例えば、自分は料理ができるので、外食にそこまで魅力を感じていない。外でお金を払わずとも、自分が満足できる料理を作ることができる。

だから外食は贅沢であるし、損になりやすいという考え方があった。

 

このように、カネ基準だけで日頃からモノを考えていると、判断基準は「支払ったものの対価を得られるか?」だけである。

しかし「他人との相互依存のネットワーク」の基準を持つと、支払った対象を支援できることに実は価値があるのではないかと気づく。

いまはコロナ関連で飲食店の経営が厳しくなっている。この考え方の影響は小さくないかもしれない。

外で金を使うことって実は善いことかもしれないな。と思った話でした。

 

 

 

新しい価値観を見つけた時、大人にはまだまだ遠いなと思います(オチ)