コスパ

数年前、富士山に登った。

一緒に行ったメンバーは頂上まで登りきったそうだが、僕は八合目で諦めた。疲労が溜まっていてその先は危険だと感じたし、ご来光(日の出)も八合目で拝むことができた。その選択には当時も今も満足している。

あとから考えると「やっぱり登りきればよかった」と思いそうなものだが、今でも満足しているということは、よほど僕の思想、価値観に沿った判断をしていたのだろうと思い立った。

この行動から導かれる僕の価値観とは

 


無理をせず(危険そう、疲れた)

ナンバーワンを求めず、目標の下方修正(頂上はいいや)

努力をケチりながら結果を求めるコスパ戦法(ご来光見えそうな場所までは行こう)

 


とても格好悪いが、確かに僕の人生はこんな感じかもしれない。仕事だって、スキルはあるが決して高くはない。これ以上学んでも給与上がりにくいなと感じたらピタッと学ばなくなった。コスパ戦法だ。

 


時々、自分は何をやっているんだと思うことがある。野望も夢もなくなってきて、何も特別なことを成さない人間なのかと思うときがある。よく聞く「何かになりたい」の感情、承認欲求の亜種みたいなやつだろうか。

 


でも、この富士山の出来事を思い返して、これが自分の価値観だと思えば腑に落ちる。少ない努力でそこそこな利益を求める人間が、若いうちに何か(凄いこと)を成せるわけがないのだ。

むしろ、少ない努力でそこそこな利益を得られたときこそ僕なりの「成せた」であり、それはちょくちょく達成できている。

 


それから、少ない努力で済むかどうかは手を付けてみないと分からない。以前株や個人事業主を始めてみたように、気まぐれ混じりでやったらいいのだ。

 

 

 

ところで「自分はこういうやつだ」と考える行為は、その中に押し込める行為でもあると思う。「大きなことを成すことは難しい」と考えると、大きなことを成そうとすら思わなくなる。

非効率な行動を取ることが減りラクになる一方で、人間の可能性を狭める行為だと思う。

それに縛られすぎないように気をつけたい。