新型コロナウィルスについて

コロナについて。

大体コロナについての情報は出揃ってきた感じがあって、僕の認識としては「インフルみたいなもん」ですね。一つ一つの国の判断とか、イベント開催の判断なんてのは、当事者でも専門家でもないので評価しなくてもいいと思っています。

 


僕が思った点で2つ。

 


1つは「過度に怖がる必要はない」という言葉に安心するのは仕事に慣れすぎ説。

 


「過度に怖がる必要はない」という専門家の意見はきっとあってると思う。ただ、僕は過度かどうかは考えたか?もしかして一切怖がってないのではないか?

「若者はかかっても死なない」と聞くのでナメがちだが、もし自分が爺さんと一緒に住んでたとき、その時は休んでいただろうか?

 


先日、営業の人とコロナについて話をしたとき「メディアに踊らされないようにしたいですよねー」と言われた。それがなんだか「リモートワークをしたい」とか、「休みたい」とか僕が言わないよう牽制されたようにも見えた。人を疑いすぎだろうか。

 


「過度に怖がる必要はない」

「であれば仕事は休んでおこう」

なんてくらい、仕事の優先度が低いことがあってもいいんじゃないか。

 

 

 

2つはここで働く人が死ぬ人の可能性。

 


以前台風で飛ばされそうになりながらピザの宅配する動画がTwitterで出回った。あれは10%くらいの確率で本当に死んじゃうんじゃないかと思った。

このコロナ大流行の中働いたときの死亡率は何%だろうか。若者は殆どゼロだと思うけど、普段よりほんの少し高いんだろう。

どこもそうかもしれないが、IT業界は文化の差が大きい。下はいつまでも苦しい働きかたをし、上はゆったり働き高い給金を得てたりすることもある。

このコロナ大流行でリモートワークをできる会社、できない会社、試みようとする会社に文化の差が現れる。コロナのような疫病に関しては、その文化差がモロに死亡率に左右する。そして、リモートワークのできない会社、つまり死ぬ側の会社にいま僕は所属してるなと思った。

 


もちろんこれは極端な話で、実際はどちらも生きるのだろう。というかストレスによる自殺の死亡率のほうがハッキリ出そうだ。

世の中上だ下だと言ってもキリがない、社内文化が良くってもどうしてもリモートワークができないイレギュラーもあるだろう。また文化が低い代わりに収入が大きいなんて反例も沢山あるだろう。

 

 

 

今回の思考はコロナにおいては大げさな話だが、いつか似たようなことに直面するかもしれない。

例えば巨大な津波情報があって、自分は海辺に近い場所にいた。周囲の人は逃げる気はないようで、説得しても耳を貸さない。自分だけ仕事を放って逃げるか?とか。

 


同調圧力で残ることを選んだ結果、津波に飲まれたらやるせないだろうな、あそこで逃げてれば…自分の感覚を信じていれば…なんて思いながら死ぬんだ、イヤだなぁ。

 


仕事において、思ったことを実行できる人間になりたいですね。ってオチにしときます。

 

 

 

 

コロナ、意外とみんな思想を持っていて、迂闊なことを言うと面倒な感じがあったのでモヤモヤしていた。今回でだいぶ晴れた。