結婚式出席_117

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ペルソナ4がクリアできない。なぜか、やらないからである。

ゲームをするにしても、RPGを進めたほうが人生には有益だと思う。しかし目先のアクションゲームで殴り合ったり、カードゲームでデッキ構築をしたり、麻雀したりとキリのない遊びを選んでしまいがちだ。

対人オンラインゲームの有益性をコスパで考えれば、とんでもなくコスパが悪い。何千時間も使って、新たな知識も得なければ何も生み出さない。「ファスト教養」では教養をコスパよく得ようとする風潮を批判していたが、コスパの悪さも肯定してくれるだろうか。

 


知識を得ることの考え方について、僕は福沢諭吉の「学問のすすめ」に出てくる"実学"を気に入っている。僕の記憶が正しければ、学問のために学問をせず、実生活に役立つ知識を学ぶべきと書いていたはずだ。

学問と教養を混ぜていいのかとか、当時は戦前で国を強くしたかった時代だから実学を優先すべき時代だったとか、色々考える余地はあるのだけど。

とにかく実学の思想を僕は気に入っている。使えない知識より使える知識を持っているほうが魅力的に思える。"今川義元"を知ることより、鍋の汚れの落とし方を知るほうが僕の人生に与える影響が大きい。

思えば日本史世界史はどうしても実学を感じられず、昔から苦手科目だ。全ての事柄に「だからなんなん」と言ってしまいそうになる。反対意見として、旅行先や博物館、食文化など現代生活でも影響あるでしょと言えると思うが、どんなに理屈を並べても、感覚として実生活に役立つと感じることが出来ないからモチベーションが上がらないのだろう。

きっと人生を快適に生きたいから学んでいるだけで、知的好奇心はさほど無い人なんだろうな。悲しいね。

 


どこまでを実学と捉えるか。コーヒーもワインも落語も、別に触れなくても生きていける。触れなければ自分の人生に関係のない、使えない知識とも捉えてもいい。

同じ実学を重視しても、何でも自分に影響のあることと捉えて知識を増やすスタンスもあれば、殆どのことは自分の人生に必要ない知識だと切り捨てるスタンスもあるだろうな。

色んな事をやって自分の知っていることを増やしたいのも本音だが、初めて違うことをする時のストレスは無視できないもので、1ヶ月に一度くらいに変わったことをするのが精々である。そんなもんかね。

 

 

 

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自分のブログの読まれている記事ランキングで、彼女と別れた翌週のものが長く上位に入っている。先日Twitterにリンクを貼った前の記事だというのに、誰か辿り着いたのか、何かしらのプチバズりがあったのか。以前食に関するブログを作り元カノにリンクを教えたことがあるが、このブログとユーザーアカウントが同じである。元カノ自身が辿り着いてもなんら不思議はない。

別れたことを書いた後すぐにゲームの話を長々とし、その後独り者だから好きな場所に引っ越せる!という話に繋げるのだから、読者はひどく薄情なやつだと思われたことだろう。僕も読み直して思った。

薄情なのは否定しきれないところはあるが、ただただ残念で、それ以上の言葉が見つからなかったのである。ブログで悪く言う気にもならなかったし、気兼ねなく語れる内容を語った結果こうなってしまった。

これに限らずブログはそういうところがある。気にしていても言葉のバリエーションが見当たらなかったり、そんなに気にしていない事象でも興が乗って言葉を尽くしてしまったりする。文章化とは奥が深い。

そんな元カノも元気にやっていることが最近分かり大変嬉しかった。僕より良い人間を見つけて幸せにやってほしい。

 

 

 

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こんな話の後でアレだが、友人の結婚式に行った。

姉の結婚式以外では初参加であるし、姉の結婚式は親族のみの小規模だった。今回は100人近くの大規模に開催されたもので、何もかも新鮮だった。

行く前は準備が面倒だの、粗相して結婚に水を差したくないだので気が重かったが、終わってみればいい結婚式、楽しい体験だった。あの場では余計なことを言えなかったから、ここでは正直に書こう。

 


ベタな正解を生で見たな、良いもの見たなというのが一番素直な感想である。新郎新婦経歴の映像をみたり、新婦や両親が涙ぐむ様をみたりして「あ〜これ、ドラマとかで知ってるやつ。本当にあるんすね」みたいに思って。

これ以外が不正解だとは言わないけれど、これが正解なのかと何か感じたなぁ。そういう人生のルートもあったような、無かったような。

 


その正解を見て、結局自分も結婚式をやりたいか考え直してみたが、感情だけで言えばやりたくない。恥ずい。人に見られて儀式に次ぐ儀式を全うすることにどれ程の意味があるのか。

ただ、結婚式をすることで離婚率が少し下がる気がするし、その合理性込みならギリやってもいいような気もする。でも、金掛かるんだろうなぁ…今回の結婚式も豪華なもので、すごい掛かったんだろうなぁ……

嫁さんがやりたいならやってあげたいが「やる〜?(凄く嫌そう)」みたいな言い方をしてしまいそうだ。

 


男性不遇演出は時代の流れか、新郎のキャラのせいなのか。プロポーズの際のエピソードや、ファーストバイトの1コマなど、少しだけ新郎をイジる、ドジに見せるような演出を感じた。新郎の友人として出席した僕らはガハハと笑うだけだが、新婦の友人達は初対面の人も多いだろう。親しみやすい新郎という印象になるのか、頼りない新郎という印象になるのか。将来"昔から頼りなさそうだったよね"みたいな話題にならないといいけどなと勝手に同情してしまった。

 


話は少し変わって、結婚式には写真係が要る。式場側でも当然用意するのだろうが、友人枠として撮るのはまた違った視点、参列者側のリアルな視点でいいよなと思う。結婚式に限らず、旅行でも各々が撮った写真をシェアするのがお約束となっている。

その写真係のテキスト版。イベントの書記という役割をここで提案してみる。

というのも僕は先日の旅行も今回の結婚式も、終わった直後に思い返しながら流れを文章化している。まあ所詮日記なのだが、ふんわり全体を網羅していると、後にブログを書くときや場所の名前を思い出せない時などに役にたつ。

この文章は人名が入っているので誰かに見せたりブログに載せたりはしていない。ただ、これを参加者だけに見せるというのはアリかもしれない。会話での出来事や仕草についての表現が可能で、写真より優位性がある。

という提案なのだが、実現は難しいだろうな。そもそも実現には相当な文才が要るだろうし、写真では表現できない余計な事も表現できてしまう。「いびきが煩くてなかなか寝付けなかった」なんて具合に。そしてこういうことを配慮しすぎるとせっかくのリアルが失われてしまう。

しかし写真だって深酒で吐いたシーンを撮ろうと思えば撮れるけど撮らないか。結局は切り取り方次第なのかなぁ。

 

 

 

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露悪をしたくなる感情ってあるね。僕も稀にやってしまうし、周りの人がやっているのも見る。しかし露悪トークは大抵場が白ける(少し引かれるか)気がするので、やらないほうがいいと思っている。ある程度まともであれば、仕事上の付き合いでなくとも誠実な人間を好むし、いい歳してそれを言っちゃえるリテラシーも心配になる。

僕がやってしまうのは仕事サボり話。前回のブログで仕事の不満は書いたが、業務時間が退屈であったり、有意義でないと感じたりすると罪悪感を抱いてしまう。その罪悪感を紛らわすために話してしまうんだろうなぁ。

コミュニケーションは難しい。