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今週は時間があり、書く話題もあったのでたっぷり書いてしまった。
先週twitterにリンクを貼った後で少し読者が増えてくれるかもしれないのに、胃もたれさせてしまうかもしれない…
体調は好調。ボタンを押すとラジオ体操が再生されるブタの置物を買ってから毎日続けられており、効果が出ていそう。体重は減らないけど。
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4人で旅行に行った。車移動で千葉方面。牛久大仏と植物園と鴨川シーパラダイスに行き、勝浦タンタンメンと寿司を食べた。
旅行の非日常感は良い。旅行の目的地がどうこう以前に4人で2日間が非日常。長時間の車移動も非日常で変な感じだ。いい意味で。
鴨川シーパラダイスではベルーガ、イルカ、シャチのショーを見た。そういえば、水族館のショーは今まで一度も見たことがないかもしれない。
シャチは客席にすごい量の水を掛けていく。バシャッではなくドォッって感じで一番前の席だったので頭上から落ちてくる。放物線を描いて飛んでくる事もあって過去に受けたどんな水よりも重く感じた。何故この勢いを出せるかといえば、シャチは体が大きくてパワーがあるからである。
シャチの大きさは数字や映像で感じるのが一般的だと思うが、このショーでは視覚だけでなく水の力強さでそれを感じられた気がして、これはショーの醍醐味だなと感じた。
ついでに、人間って自分の体長くらいまでしか分からないよなと考えていた。ヒトの身長なら10cmくらいの誤差で当てられそうだが、5mのシャチや、120mの牛久大仏になってくるともう全然分からない。120mだと知識で覚えることは可能だが、自分の中に120mの感性を持っていないというか。
牛久大仏の近くで生まれた人はその感性が育っていて、お台場にあるガンダムのサイズを大体何mくらいと言えるかもしれないな。そういうVRコンテンツがあったら少し面白いかも。
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ゲームは自己表現の面白さがある。
スマブラでパックンフラワーを使うのが好きである。このキャラクターは毒ガスを設置し、遅くて当てにくいが高い威力のトゲ鉄球を投げ、相手の攻撃をいなしてから噛み付く技がありと、正々堂々の真逆を行くようなキャラクターとなっている。使っていてとても楽しい。
どのゲームでも僕が好きなキャラは大体そう。長距離狙撃、逃げ足が早い、妨害・状態異常など。真正面から競り合うキャラは滅多に使わない。
つまり好きな勝ち方がボンヤリと自分の中にあって、それを実現できるかでキャラクターが選ばれる。実現できるかは2択ではなく、実現度90%とか、60%とかで示すイメージだ。常に自分の中に答えがあるわけではなく、キャラの性能にそそられる事もある。
今まで好きだったキャラで言うと、スマブラのパックンフラワーは95%。LoLのAniviaは92%、Apexのオクタン、ポケユナのインテレオン、LoLのTeemoは88%。みたいな感じだ。
自分の好きな勝ち方は、現実で行われている人生のプレイングとは異なる。狙撃、逃げ、妨害人間は戦闘以外では害悪でしかないので出番がない。(日常の所作、判断に漏れ出ているかもしれないが…)
現実にできない自分の趣向を実現できる。だからゲームに自己表現を感じている。
ここまでの話にキャラの強さは関係ない。この後、自分が使いこなせるか、技が強いか、環境に合うかという話が出てきて強さが決まる。先ほど挙げたLoLのティーモは僕の趣向には合うが、強いキャラでないのか、自分が使いこなせなかったのか分からないが、全く勝率を伸ばせなかった。
しかし最近の風潮は、真っ先に強い弱いとか、ティアランキングとかで語られて少し寂しい。プロの試合を見てトップのメタを勉強しているとか、動画作成者も強さをコンセプトに動画を作った方が視聴数が伸びるとか、そういう時代の流れなのだろう。
勿論プロは勝たなきゃいけないので、メタで一番強いものを使うべきだ。自己表現だなんて考えるのはプロに言わせれば甘さでしかないだろう。僕も勝ちたい気持ちが無いわけではないので意図的に強いキャラを使うこともある。ビジネス上の付き合いだなと思いながら使う。
先日ストリートファイター6にAKIという毒攻撃主体のキャラが出たのだが、ウメハラが「強くはないけどコンセプトは好き」みたいなことを言っていて少し嬉しかった。プロとして強さをシビアに見つつも、コンセプトの好き嫌いを語れる余裕があっていい。
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前から読んでいた「ファスト教養」を読み終えた。面白かった。
ざっくりと説明すると、キャリアアップするために教養を得ようという風潮があり(教養系Youtuber、自己啓発書など)、それが支持されるのは自己責任論が浸透した社会から脱落しないよう、成長し続ければならないという人々の強迫観念から来ている。
この教養はビジネスに使うためのコスパ重視となってしまい文化を軽視してしまう。また、自己責任論を強化してしまうため出来ない人を見下す風潮に陥ってしまう。息苦しい空気感があり問題だよね。
そんな感じのことが書いている。
僕は周りの人よりファスト教養を好んでしまう所があり、作中で紹介される本の一部を読んだこともあるので、特にいい読者だったのだろうな。
昔読んだ「ブルシットジョブ」もそうだが、世の中の現象を定義する本は面白いと感じる。細かい部分で根拠の例に無理があると感じたり、解決案が現実的でないように感じることはよくあるが、大筋として納得できれば日々の思考に役立つし楽しめる。
読んだ後の感想はこの程度で留めておこう。近いうちにまた読み直したいし、その時読書メーターに投稿しようかな。
この本の中で千葉雅也の「勉強の哲学」を引用している。以下は「勉強の哲学」の一節。
「何のために勉強をするのか?何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?それは、『自由になる』ためです。どういう自由か?これまでの『ノリ』から自由になるのです。」
また、後の本文による言い換えで
「周りから浮いてしまうリスクを取ってまで自由を得る」
と言っていて、周りから浮いて自由を得てるの、僕じゃーんwと言って笑っていた。
まぁ、勉強もさほどしていない上に周りから浮いているのだが…
冗談はさておき、こういったフレーズが面白いので「勉強の哲学」は読んでみたいと思った。なんか昔聞いたタイトルな気がするんだよな、あの人が紹介してくれたんだったかな。
印象的な引用フレーズがもう一つあって、渡部昇一の「知的生活の方法」にて
「あなたは繰りかえして読む本を何冊ぐらい持っているだろうか。それはどんな本だろうか。それがわかれば、あなたがどんな人かよくわかる。しかしあなたの古典がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。」
これも面白い。知らん人から「読書家」の称号をもらっても仕方ないが、「あなたの古典」ってフレーズは気に入った。
印象的な一節を引っ張り出すのもまたファスト的かもしれないが、やっぱ短い一文は鋭さが違うから仕方ないね。
読書中に次に読みたい本が生まれるのは読書あるあるだと思っていて、なかなか繰り返して読む時間を取れないでいる。読書は好きだがゲームほど長時間熱中はできない人間である。