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先日喫茶店に入ろうとした時満席で、順番待ちの名簿に名前を書こうと思った時、本名が前の人と被ってしまっていた。このままでは「1名でお待ちの(本名)様〜」と店員さんが呼ぶ時に不具合が生じるなと思い偽名を使って書いた。
先日パン屋併設の喫茶店コーナーに行ったが、パンが半額セールで行列ができていた。喫茶店コーナーはレジが別なので、行けば優先して対応してくれそうなのだが、店員は二人しかおらず、店員にも行列にもかわいそうなので帰った。
こういう気遣いが時々あり、自分でどうなんだと思う。もう少し利己主義のほうがいいんじゃない?
これは善意・やましさよりも、幸福の最大化が思考のベースにある気がする。僕が僅かに損することで他の人が大きく得をするならアリという損得勘定で動いていそうだ。
ごくたまに、善行だけど二人とも損をするみたいなことがある。溺れている人を助けにいく(二次被害のリスクがある)みたいなやつ。ああいうのは出来ない気がする。
海外では前の人がドアを抑え、お先にどうぞとやると聞いたことがあるが、これは前の人が大損じゃない?全くやりたいとも、やられたいとも思わない。
(あぁ…遠い昔トロッコ問題を問われて、1人のほうを即答で選んでドン引きされたことを思い出した。「答えを悩む」が善人の所作であった。)
こういうところがあるから、善意ではなく損得勘定で動いているんだろうなと思う。
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前も書いたが、父親が姉に嫌われている。"やらかし"を定期的にやって嫌われるようだ。話を聞くと大抵父が悪いので嫌われても仕方ない。
仕方ないのだけど、父に同情してしまう。そもそも不器用で、交渉ごとが苦手なのだと思う。
そして時代の変化は激しく父の威厳は落ちるばかり、プライドは捨てられず、勤勉に働いても評価されず。
そのうえ歳をとり判断力は鈍るし、感情のコントロールはミスるし、視覚聴覚等各種センサーにもガタが来る。
うーん。同情してしまう。
とはいえ、半端に助けようとしてもやはりプライドは高いようだし、甘やかすと地元に帰らなきゃいけなくなりそうだし。
父に限らず、今の時代は年金などで若者vs年寄りみたいな構図になったり、嫌な年寄り客エピソードをSNSで見たりしては、毎回年寄りに同情している。
同情したとて、SNSの若者が嫌な気持ちになったのは事実であり、何もできることはないのだが…
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健康診断の結果が出た。
肥満が僅かに進行したが良くなっている項目もあり、概ね現状維持といったところ。
今年はジムに通っていた時期もあるし、食事制限をした時期もある。少し良くなってたりして…?という甘い幻想は打ち砕かれた。
努力が足りなかったというのは簡単で、特に男性はそう言うだろう。自己責任論が浸透しているとファスト教養で書いてあったのを思い出す。努力の結果、現状維持で済んだと自分を褒めてもいい。切り取り方でしかないね。
そんなことは置いといて、やっぱり運動しようと思った。月曜からウォーキングをしている。
ストレッチ屋にその話をしたら、近所で市民マラソンがありますよ、出ます?と言われて、ノリで快諾しながらもかなり慌てた。
結局エントリー時期がもう過ぎていたようで参加は無くなったのだが。助かったぁ…
確かに目的を持って取り組んだ方が楽しいのは間違いなく、非常に合理的な選択ではあるが。
まさか、僕の人生に市民マラソンに出るという選択肢が出るとは。
一応明確に書いておいた方がいいか。僕のような太ったインドア人間が運動なんか基本好きなわけがない。マラソンなんてのは根性と体力、恥をかくばかりで、一番いい思い出のないイベントと言ってもいいくらいだ。これを合理的に選択するという局面なのが面白い。
運動をどういうスタイルでやれば、最も負荷なく続けられるか暫く検討することになる。楽しんでやりたい。
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先週書いていたアプリの個人開発は、土曜の午前中にサクッとできてしまった。ラジオ体操を一番簡単に再生することを目的としたアプリだった。やりたいことが明確、技術も調べれば出そうなものだったので、本当にすぐだった。
今は株の分析ツールを構想している。Pythonを使うので自分の専門分野ではないが、ChatGPTを頼りながらやっていて、株価情報のAPIを引っ張り出すところまでいった。ここから分析をするのが難しいのだが、今の所順調という感じで、じわじわやれればと思う。